オタクが嫌ってる映画を見に行くオタク『えんとつ町のプペル』
以前ふせったーに書いたやつのほぼ使い回しです。
はじめに
個人が動画サイトやSNSで気軽に作品のレビューを発信できるようになってから久しいが、個人の解釈によって作品全体のイメージが歪むケースも多々ある。
例を挙げると、黙れドン太郎という蔑称で有名になってしまった、『物理さんで無双していたらモテモテになりました』という作品だ。
『物理さん(以下略)』のコミカライズ版のページをスクショした画像をSNSで見たことがある人は多いだろう。しかし、実際に一話でも読んだという人はかなり少ないと思う。
後者ならともかく、前者の人間も口をそろえてドン太郎はクソ漫画だと言うのは何故か。それは個人の主観に満ちた発言を鵜呑みにしているからだ。
あの人がクソ漫画だと言ってたから、きっと正しいのだろうと思い込んでしまう。それが私はどうしても気に入らなかった。
正直に言うと、私はそういった見てもいないのにまるで実際に見たかのような発言をする人間が苦手だ。
だから、『物理さん』が話題になった時には実際にコミカライズ版を全巻購入して読破した。やはりネット上で流れているイメージとは違う部分もあり、それなりに楽しめた。
ちなみに最終巻のあまりの投げっぱなしエンドに、私は『僕は友達が少ない』に登場する『楠幸村』というキャラクターが実は女性に見える男性のフリをした女性であることが発覚した時ぶりに本の内容に怒ってしまった。
それはさておき、ここまで長ったらしく語っていて結局何が言いたいのかというと、私は自分の目で見たものしか評価したくないということだ。言い換えれば、同調圧力に屈したくないのだ。
だからこそ、同調圧力に屈するなというメッセージを持ったこの映画との相性はある意味よかったのかもしれない。
見ようと思ったきっかけは一月末に見かけたとあるツイートだ。
『うっせぇわに共感してそうVSプペル見てそう』
どうやら元ネタは某掲示板のスレタイらしい。私は好きな曲がこういった扱いをされていることにムッとしつつ(まあオタクに刺さる部分の少ない曲ではあるのだが)、それと同時にこう思っていた。
(オタク、1ミリも知らないくせに絶対キンコン西野のイメージで語ってそ~~~~)
プペルの原作者である西野氏がインターネットでかなり嫌われていることは皆さんもご存じだろう。私も正直良いイメージを持っているとは言えない。
それでも私は映画を見ていない。ならプペルを貶す権利は持ち合わせていない。勿論擁護したいわけでも批判したいわけでもないのだが、いい機会だと考えた私は決意した。
──次の休みの日プペルを見に映画館へ行こう、と。
念のため断っておくが、これから先どんなことを書いたとしても、それは私個人の意見でしかない。これを読んでいるあなたと同じ感覚を持っている保障はどこにもない。
私は『じんるいのみなさまへ』を神ゲーだと思っているタイプの人間だ。人によっては私の感性が一気に信用できなくなったと思う。
もしこれを読んで映画に興味が湧いたという稀有な患者がいたとしたら、私の意見を鵜呑みにはせず是非とも自身の目で確かめて評価してほしい。
それだけが私の望みです。
※別の本を探していた時に見かけて思わず「テロじゃん」と呟いてしまった。
平日昼の映画館に行くオタク
そして迎えた当日、私は正直後悔していた。
Twitterでも見に行くと宣言してしまい、もはや逃げることはできない。何故1000円も払って興味のない映画を見るのか、自分で自分の行動が理解できなかった。
私以外の客は三人程度、平日昼間であることを考えれば当然だろう。
そして映画が始まった。
ストーリー
舞台は一日中煙突から出た黒い煙が空を覆いつくすえんとつ町。住人たちは煙の上にある星を知らず、その存在を信じてはいない。
そしてハロウィンの日、お化けの仮装して賑わう子供たちの前にゴミ山で生まれたゴミ人間のプペルが姿を現す。
最初はただの仮装だと思われ、子供たちからも受け入れられていたプペルだったが、ハロウィンが終わり仮装を脱ごうとしないプペルを不思議に思った子供によって正体がバレてしまう。
人間ではないプペルを周りの人間たちは拒絶した。勿論その理由は自身とは違う物への嫌悪感なのだが、映画ではそれに加えて異端審問官という存在が未知との接触を禁じているかららしい。
一応映画を見る前に絵本の方を読んだのだが、映画ではオリジナル要素がかなり加えられている。確かに絵本をそのまま映画一本にするにはあまりにも尺が余りすぎるので、オリジナル要素で尺を稼ぐのは当然とも言える。
絵本では普通に道で何事もなくルビッチ(話を知らない人がプペルだと認識してしまう黒いハット帽子の少年)と出会うのだが、映画ではゴミ焼却場に運ばれるプペルをルビッチが助けるシーンで二人は初めて出会うことになる。
そしてそこからも長々とオリジナルシーンを流し、最終的に絵本と同様にハロウィンに出会ったから『ハロウィン・プペル』だとゴミ人間に名前を付ける。
その後もオリジナルシーンを加えつつ、基本的には絵本通りに進んでいく。しかし終盤、というより結末がかなり変わっている。
絵本では二人で空へ行き星を見たところで物語が終わるのだが、映画ではとある方法で煙を晴らし住人たちにも星を見せるという結末を迎える。
オリジナル要素は賛否が分かれそうだが、私としては絵本とは違う展開で退屈せずに映画を楽しむことができた。
声優について
次はキャラクターたちの声を演じる方々についてだ。
プペルは俳優の窪田正孝さん、ルビッチは芦田愛菜さんが演じている。その他のキャラたちも、基本的には俳優や芸人が声を担当している。いかにもオタクが嫌いそうな布陣だ。
私も正直あまり演技面は期待していなかったのだが、聞いてみるとどのキャラもかなり演技が上手かった。私は演技が上手ければ声優が声の担当をしていなくても問題ないと考えているので、かなり安心して見ることができた。
それにしても何故芸人が多いのだろうと考えたが、よくよく思い返したら一番最初にでかでかと吉本の名前がスクリーンに映し出されていたので、そういうことだろう。
西野氏が吉本を辞めるニュースもあり、タイムリーだなと感じてしまった。
評価
良かった点
・上でも書いたが演技が不安をはねのけるレベルで良かった。
・CGの出来もかなり良かった。見終わってから調べたのだが、制作は『海獣の子供』を作ったSTUDIO4℃だった。……人によっては残業代未払いの件を真っ先に思い浮かべるかもしれない。
・ルビッチをバカにする悪ガキも実は星の存在を信じていたんだよという展開は少し涙腺に来てしまった。
少し気になった点
・異端審問官たちが無能すぎて終始緊張感のようなものはなかった。
・敵側だったおじいちゃん、結局誰にも気づかれずにさっくりやられてて何のためのキャラだったのと感じてしまった。
・ルビッチが友達であるプペルを父親の生まれ変わりだと認識する絵本のラスト、正直あまり好きではなく映画中盤でプペルがそれを否定して安心したのだが、結局ラストでまた父親インストールして辛い。
総評としてはかなり楽しむことのできる映画だった。しかし、映画に込められたメッセージはどうしても西野氏の顔が思い浮かんで素直に受け取ることができなかった。もしこれから見るという人はできるだけ頭をからっぽにすることをお勧めする。
最後に
そして私はもう一つ確かめたいことがあった。
西野氏のオンラインサロンの会員がプペルの上映終了後にスタンディングオベーションをしたという話を皆さんも聞いたことがあると思う。
私はその光景を見てみたかったのだが、結局上映終了後に拍手の音は聞こえず、全員無言で映画館を後にした。
恐らくタイミングが悪かったのだと思うが、流石にそれを見るためだけにもう一度見る気にはなれなかった。
これは余談だが、Wikipediaを覗いてみたらクッソ荒らされてて素で「気持ちわる……」と声を出してしまった。普通に迷惑だからやめようね。
おしまい